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インタビュー

月刊「美容界」2014年11月号

スペシャル・インタビュー
創業50周年を迎えたTAYA

田谷哲哉
株式会社田谷 代表取締役会長

TAYAは一日にして成らず

TAYAは一日にして成らず

美容室として初の東証一部上場を果たすなど、業界を牽引するリーディングサロン・TAYAが創業50周年を迎えた。ヘアデザイナーとして一時代を築き、その後は経営者として同サロンを業界トップクラスの企業に育て上げた創業者・田谷哲哉氏が50周年の思い、そしてこれからを語る。



7坪のサロンから始まった


 1964(昭和39)年10月10日、麹町(東京都千代田区)に『田谷哲哉美容室』をオープンしました。スタッフが私を含めて5人、椅子5台、広さは7坪。私は23歳でした。
 その日は、東京オリンピックの開会式。前日までの雨が嘘のように上がった秋晴れの下、日本中がオリンピックの開幕で湧き返る中でオープンしたことを思い出します。
 そして今年、おかげさまで私どもTAYAは満50周年を迎えることができました。サロンを見守って下さった皆様方に、改めまして感謝申し上げます。
 私は、千葉県成田市で生まれ育ちました。実家は美容室で、三代目にあたります。高校一年から美容師の通信教育を受け、その後は山野高等美容学校の高等研究科を卒業して実家のお店で働きながら、上手になりたい一心で多くのコンテストに出場していました。
 そんな中、転機となった一つの出来事がありました。それは、美容雑誌『ヘアモード』(小社刊)の誌面で現在も行なわれている「誌上コンテスト」への応募でした。
 この「誌上コンテスト」は毎月、応募作品の中から優れた作品が“月間賞”に選出され、一年間で“月間賞”に三度選出されると“年間賞”という栄誉が与えられます。私は実家の美容室から応募して、初挑戦から五ヵ月で“年間賞”を受賞することができたんです。これは本当に嬉しかったですし、大変な名誉でもあり、自信にもなりました。
 受賞後は、毎月のように『ヘアモード』の取材や撮影のご依頼をいただき、誌面で創作活動をする場を与えていただくことができました。それだけでなく、女性モード社の池田 修さん(弊社元副社長)らが橋渡し役になって下さり、一般向け女性誌の表紙撮影の仕事まで舞い込んでくるようになりました。ありがたいことに、そうした撮影の仕事は一度きりで終わらず、指名で何度もご依頼をいただけるようになっていきました。
 当時、撮影や取材の度に千葉の成田と都心を往復するのは、決して楽ではありませんでした。そこで、東京の真ん中にお店をつくることができれば、外部の仕事も、サロンの仕事も両方できるはずそんな思いから、麹町に自分のお店を開くことにしたのです。これが、TAYAの出発点です。私は有名な先生に弟子入りするなど、他店で修業をした経験が一度もないんですね。実家で働きながらコンテストに出て実績を積み、独立したわけです。
 オープン時のスタッフは、母校である山野高等美容学校の高等研究科に在籍していた人たちが中心でした。幸運だったのは、全員が勉強熱心で、毎晩深夜まで行なっていたトレーニングを楽しんでくれていたことです。どんどん上手になってコンテストでも優勝、お客様も増えていきましたから、余計に楽しくてお店を辞めないんですよ。次第に麹町のお店にはお客様が入りきらなくなり、九段と二番町(共に東京都千代田区)という比較的近い場所に支店を出したんです。


写真の切り抜きとデッサンと


 美容師としての腕を磨いていた当時、毎月欠かさず行なっていた勉強が二つあります。
 一つは、雑誌に掲載されているヘアスタイル写真の切り抜きです。専門誌、一般誌を問わず、女性のヘアスタイルが写っている写真を片っ端から切り抜いて保存していました。被写体を正面から写したフロントビュー、サイドやバックから写した写真、レングス別など、自分の中で設けたテーマ別にコレクションしていったんです。
 それぞれの写真を何百枚、何千枚と見続けていると、女性が最も美しく見えるレングス、シルエット、ウエイト、バランス感などがだんだんと分かってくるんですね。これは、数枚や数十枚をぺらぺらと見るだけでは分からないものなんです。顔の形に合った最適なヘアスタイルなども含めて、膨大な数の写真を研究して考案したヘアデザイン論が、私どもの技術教育を支えるベースとなり、現在もスタンダードの一つとして生きています。
 写真の切り抜きと並行して勉強したのが、デッサンです。高田馬場(東京都新宿区)に鈴木正道先生という絵画の先生がいましてね。私自身、絵を描くことが子供の頃から好きでしたので、先生が主宰されている教室へ通って、墨汁を使った一筆書きなどによるデッサンを学びました。その中で構成力をはじめ、“心”まで養われるなど、価値のある有意義な勉強でした。
 私には師匠がいませんでしたから、こうやって自分から一歩前に出て積極的に動いて勉強したり情報収集をしていかないと、あらゆる面で発想が豊かにならなかったですし、美容師としての幅も広がらなかったと思います。
 池田さんのような方たちとの出会いも含めて、人とのご縁を大切にしながら出会いを増やすこと。また何事も意欲的に学んで吸収しつつ、学びを周囲にアウトプットすること。こうした積み重ねがなければ、現在のTAYAはなかったかもしれません。


天才美容師が
出現しなくなった業界



 ここまでお話ししてきたように、もともと私は一介の美容師です。美容師は、本質的には職人の世界に属する存在だと思います。
 職人とは、多くを語らずとも相手を満足させることのできる匠の技を持つ者、と私は定義しますが、最近改めて感じるのは、美容室の場合、経営者と従業員の関係が「社長と社員」だと、必ずしも美容師のプラスにならないのではないか、ということです。美容師は、職人魂を秘めて仕事に打ち込んでいます。この職人魂を経営者が忘れてはいけないと思うんですね。
 と言うのは、「社長と社員」の関係では、美容師の職人性が薄まる気がしてならないのです。さらに言えば、“天才”と呼ばれる美容師が出てこなくなりました。その背景には、職人である美容師が「社員」という枠で括られている影響もあるのかなと感じるわけです。もちろん、理由はそれだけではないのですが…。
 私自身、弊社で「社長」と呼ばれる立場にいましたが、美容師が「社員」と呼ばれることの違和感はずっとありました。今の業界には“匠”への道のりが存在していない、と言うと語弊がありますが、今後は再び“匠”を生み出すことのできる環境を整備したいと本気で思っています。 
 かく言う私は、40歳を過ぎて経営に専念したものの、当時は業界の仲間たちから冷ややかな目で見られましたね。「田谷哲哉も終わったな」みたいな(苦笑)。職人同士の暗黙の連帯感から私だけ抜け出したように思われてしまったのかもしれません。
 ただ、私は美容師の人生に二毛作があってもいいと考えていました。そして、これからは経営の方でやり遂げるぞ、と腹をくくりました。実際は、経営に専念と言っても最初の5年ほどは月に2〜3回はお店に出て、特に私よりも年上のお客様を中心に一美容師としての仕事もしていましたが、業界の諸活動は休ませていただいて経営の勉強に励みました。


高給取りの美容師を増やす


 美容師としての仕事に一区切りをつけてから、約30年が過ぎました。この間に店舗数の増加や、株式上場などを実現することができました。
 新規出店に関しては、TAYAという店名のみによる多店舗化の可能性を模索していた頃、伊藤忠商事がパリの「courreges」(クレージュ)と組んでヘアサロンを展開すると発表しました。私はTAYAブランド一辺倒でなく、複数のブランドを用意してお客様のニーズに幅広く応えられたら、と考えるようになっていましたので、すぐに話を聞きに行きました。その後、私どもの人材教育が評価されて「クレージュ」との提携が実現すると、高い知名度による抜群の集客力に我々自身が驚かされました。
 以後、ヘアカラーで独自のノウハウを有する「カペリプント」などとの提携も実現し、またNYのデイスパサロンに触発された「TAYA&Co.」、セレブリティ向け「GRAND TAYA」といった新しい展開にもつながっていきました。
 こうした前例のない取り組みに向き合う時、ついつい既成概念や先入観が先立って、ああでもない、こうでもないと考えすぎてしまい、結果的には小さく無難にまとまってしまうことがあります。けれども、私は中途半端が一番良くないと思っているんです。徹底的にやり切ることが大事だと思います。そうしないと、美容室のイノベーションに最も必要なパワーが湧き出てこないように感じます。
 このように美容室の「箱」をつくることができても、肝心なのはやはり美容師そのものです。私どもでは6年前に、新卒のアシスタントが24ヵ月でデビューできるシステムを導入した「テクニカルアカデミー」を開講しました。現在、その卒業生が店長になり始めていますが、来年からは更にコンテンツを充実させた「ビジネスアカデミー」をスタートする予定です。
 この新しいアカデミーでは、高待遇の美容師を増やすことを目的の一つとして、早い時期から高給を得るための具体的なスキルも教えていきます。「テクニカルアカデミー」と同様に内部向けで、私も教壇に立ちます。美容師の待遇が改善されないために将来性豊かな人材が辞めていく、そんな現実を解消していきたいと思っています。
 というのは、弊社の上場以降、以前にも増して質の高い優秀な人材を採用できるようになってきていたからです。上場によって対外的な信用度も上がり、資金調達に困ることもありません。人的資源と資金調達に恵まれているTAYAの強みを生かし、更なる成長を図るためにも、技術や接客なども含めて、高給取りの美容師になるノウハウを余すところなく伝授していく場になります。美容師自身に豊かさがないと、TAYAは発展していかないのです。


次なる10年へ「NEXT10」


 私どもにとっての50周年は、未来へ向かって前進していく通過点です。そこで、10年くらい先をイメージした弊社の「NEXT10」についてお話しします。
 安倍晋三首相が「強い日本をつくる」と抱負を述べていましたが、私はTAYAのこれからの10年で、強い美容師を増やしたいと思っています。「テクニカルアカデミー」と「ビジネスアカデミー」は、そのためにも不可欠な教育です。
 同時に、独立支援制度を一新します。当社が独立資金として、3000万円の銀行融資を保証します。一部上場企業の保証が付けば、金利も低くなります。例えば故郷で独立したい人は、まずそこにTAYAが出店し、店長として赴任してもらいます。一年後にTAYAの名義から、スタッフとお客様はそのままで本人の名義に変更し、10年くらいかけて返済していただきます。一年間は店長としての給料が保証され、求人や顧客獲得活動も本社が行ないます。これは10年以上TAYAに勤めてくれた美容師へのプレゼントだと思っています。独立後も毎月の全店店長会に出席して情報が入手できるほか、ナショナルイベントにも参加できます。また、持家制度の充実も計画中です。TAYAと縁ができて良かった、と思っていただければ嬉しいですね。人は、縁によって人生観が変わってしまうものです。
 昨今、地球温暖化が話題になっていますが、温暖化が進めばショートヘアが主流になっていくと思います。ショートヘアは、造形としてのデザイン要素が多く、レングス、ボリューム、流れなどいろいろな部分で技術が必要ですから、従来以上に造形的な技術指導に注力していきます。
 そして、海外への出店ですね。特にパリ、ミラノ、ニューヨーク。世界の情報を瞬時に入手でき、コレクションにも参加するTAYAでありたいと考えています。
 これからも、イノベーションを繰り返しながら、「すべての人に夢と希望を与え社会に貢献します」という理念を追求し、収益力を保ちながら成長していきたいですね。私自身も、まだまだ成長中なのです。

たや・てつや…1941(昭和16)年千葉県成田市生まれ。1963(昭和38)年、弊社『月刊ヘアモード』主催の「誌上コンテスト」で年間賞を受賞。翌1964(昭和39)年10月10日、東京・麹町(千代田区)に『田谷哲哉美容室』をオープン。ヘアデザイナーとしてその名を轟かす。1983(昭和58)年、第一線から引退し、マネジメントに専念。1997(平成9)年、業界初の株式店頭公開。2001(平成13)年、東京証券取引所第一部上場。今年10月、創業50周年を迎えた。

たや・てつや…1941(昭和16)年千葉県成田市生まれ。1963(昭和38)年、弊社『月刊ヘアモード』主催の「誌上コンテスト」で年間賞を受賞。翌1964(昭和39)年10月10日、東京・麹町(千代田区)に『田谷哲哉美容室』をオープン。ヘアデザイナーとしてその名を轟かす。1983(昭和58)年、第一線から引退し、マネジメントに専念。1997(平成9)年、業界初の株式店頭公開。2001(平成13)年、東京証券取引所第一部上場。今年10月、創業50周年を迎えた。